私のスピリチュアルへのスタンス

2011年の東日本大震災は、私にとって自分のスピリチュアルへの向き合い方や取り組みを強烈に意識させられる機会でした。

 

あの時、「自分がやってきたスピリチュアルなど、所詮日本が平和で安全で豊かな国だから出来ていたのではないか!?」という、アイデンティティの危機に陥ったのです。

しかし当時このような気持ちになった方は職業問わず大勢いたとも言われます。

 

そういえば、この時日本から脱出して海外移住したヒーラーも大勢いたと聞きますが…。

 

私にとって問題だったのは、本来、スピリチュアルというのは危機の時の支えになるものなのに、いざ極限の危機の状態に社会が陥ったら、自分のやってきたことが信じられなくなったことでした。

 

東日本大震災をきっかけに、私は「どのようなことが世の中で起きても、スピリチュアルに対して揺るがず、自信を持ってスピリチュアルな視点から活動し、人々にメッセージを送れる人になる」ことを自分のひとつの成長目標としてきました。

 

そして人々をパニックに陥らせるものは、不安だと思います。不安は人に強いストレスを与えます。人は不安を感じると、クレイジーな行動をとるようになります。例えば何かを買いだめしてしまうとか…。

スピリチュアルでも人間の不安を刺激するようなものは、お金になりやすいかも知れません。今のままではだめ、これをやれば、これこれこういう未来の不安から解放される、みたいなもの。

 

でも、私はそういう不安を刺激する経済効果にはあまり関わりたくないと思っています。

特にスピリチュアルに関しては、不安を刺激してお金儲けをするのは波動の問題に関わってきます。私の知る限り光の存在達は愛しか語らないし、人間の不安を刺激することなく、安心させ力を与えてくれます。彼らの波動ほど不安から遠いものはありません。

 

だから、彼らを見習ってただ愛にフォーカスすればいい。それは不安にフォーカスさせるほどの力はこの地上では一見ないかも知れません。でも、きっとわかってくれる人達はいる。何より、自分の魂の深いところが「それでいい」と伝えてくるものを信じて粘っていく。ちょっと抽象的な内容になってしまいましたが、これが私のスピリチュアルへのスタンスです。

 



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