つぶやき:自分を大切にすること・癒すこと

最近、ある出来事から「過去の古傷が痛む」ような経験をしました。もはや四半世紀以上前(笑)に負った傷なので、さすがにその傷でのたうちまわるということはありません。また、自分も含めた誰に対して何に対しても、最早強い怒りもありません。

 

でも、四半世紀以上たってもその過去を完全に水に流すことができない自分が未だにいることは確かで、あの頃に出会った人達と積極的に会いたいかと言われたら、会いたいとは思えない。それほどまでに私が傷ついたのは、私が未熟だったから。そして私が関わった人達にも未熟さがあったからです。

 

私はそこにいるべき人間ではなかったし、そこからがむしゃらに生きて自己内観して、今では自分のパワーを取り戻しています。

あの辛い時期がなかったら、今の私はいないと断言できます。だけど、未だにこの時期のすべてを愛情深い目で見れない自分がいるのも事実で、少し前だったら、そんな自分が好きになれず、責めてしまっていただろうと思います。

 

だけど、今回は「これほどまでに時間がたったのに、私はまだ傷ついているのか。私は本当に本当に傷ついたんだな。可哀想に…。まだ傷が癒えていないのなら、私は何よりも自分を慈しんで、大切にしてあげないといけないな」と素直に思えたのです。

 

スピリチュアルなことに関わってきて、私は自分ファーストであることにどこか罪悪感を感じていたのだと思います。「許しは解放」であり、他者を大きな目で見ることで自分自身も解放されると思っていました。それは今も思っていますし、真実だと思います。

 

でも「すべての癒しは自分を癒すことから始まる」ことも紛れもない真実。

まだ古傷が痛むなんて、私は自分への癒しが足りなかったと素直に思えたのです。なので私はすぐに過去の痛みから離れ、過去に出会った人達の記憶からも離れ、今の自分が大好きなものや人に囲まれることを自分に許可し、今の自分自身と愛する彼らのために何を与えるかに集中することを選択したのでした。

 

それは「逃避」ではなく、「もう十分に苦しんだから、過去を手放し、いまの自分を大切にしていいのだ」ということを選択し、許可できたのだと思います。

 

この時期を経て、もしかしたら私は今よりも過去の傷を愛せるようになるかも知れないし、もしかしたら死ぬまで変化はないのかも知れないけれど(笑)、もしそうだとしても、自分を大切にすることを許可する。そのことをより深い段階で理解し選択することができたのだと思えたのでした。



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