ミディアムシップの不思議

ミディアムシップを行っていて、思ったことがあります。

 

私達は故人に対して必ずしもポジティブな気持ちを抱けないこともあると思います。特に生前の故人の振る舞いに傷つけられた、苦しめられた、振り回されたという人は、愛憎入り混じった…というよりも、憎い、許せない、許さないという気持ちを抱えていることもあるのではないでしょうか。

 

ミディアムシップの場で、故人が天国からやって来て、怒りを抱えた自分に詫びる…そういうシーンを期待する人もいるかも知れません。

 

しかしそれは幼稚な願望であるように私は思うのです。

 

感動的なミディアムシップの場で許しは必ず起こります。そして、そういう場にミディアムとして遭遇して感じることは、許しとは「相手が謝るから許す(許せるようになる)」というようなものではなく、既に互いの心に「許し合う」状態が整った人との間でしか、起こらないのではないかということです。

 

勿論、どう考えても自分は悪くないと思うケースもあるでしょう(例えば親子関係で、親の酷い振る舞いに対し子供は犠牲者であると言えます)。しかしミディアムシップの場では、親を許さない怒りを抱えた子供でい続ける人より、私達は皆不完全な人間なのだと、親に対しての怒りや恨みを手放した人のほうが、天国から来た故人も素直に詫び愛情や後悔を伝えることが多いように思うのです。

 

許しは頑なさを溶かす愛の力です。怒りを抱えている誰かに対して、自分から積極的に許していきましょう。相手を思いやるのです。あなたが許すと、その愛は相手のハートに必ず届き、もう会うことのない人(天国にいるのであれ地上にいるのであれ)であっても、変容が起こるのです。

 

今日の投稿に関しては、反発を感じる方もいるかも知れません。これはあくまで私が感じたことであり、あなたとは違っていてもいいということを、ご理解いただければと思います。

 



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