諦めるのではなく積極的に

先日マーティンさんのプライベートマスタークラスで「過去世については、エドガー・ケイシーの本がお薦めだよ」と言われ、大量にあるエドガー・ケイシー関連の本から『転生の秘密(改定新訳版)』を選んで今読んでいます。

 

以前海外の形而上学の学校で過去世とカルマについて学びました。その時、過去世について探求することは決してロマンチックなものではなく、そこで犯した過ちに気づき、現世で向き合うために(現実に向き合うために)掘り下げていくものである…ということがよくわかりました。

 

私は物心ついた時から「なぜ、私はこの家の子供、この親の子供だったのだろう!? なぜ人は生まれた環境、性別や外見や知性を選べないのだろう」という気持ちをずっと抱えて生きてきました。その、答えの出ない問いにカルマという考え方は、どういうわけか私には荒唐無稽には感じられないのです。

 

しかし「カルマはバランスに過ぎない。もしあなたが過去世のどこかで残虐な心を持ち、誰かの目を突いて失明させたなら、今回の人生であなたは失明するかも知れない」という、身も蓋もない・血も涙もないカルマ論は、「もしそうだとしてもそんな訳のわからない事をしたり顔で他人に言う人間にはなれない」という反発の気持ちのほうが私には勝ってしまっていました。

 

そんなわけで、なんだか気乗りするような気乗りしないような複雑な気持ちでケイシー・リーディングの本を読み始めたのですが、読んでいるうちに、私は不思議と穏やかな気持ち、積極的な気持ちになったのでした。

 

霊界のエネルギーは愛そのものでしかないのに、伝える人や内容によってカルマ論はあの愛のエネルギーとあまりにかけ離れたものになると感じることがありましたが、ケイシーのリーディングやアドバイスにはまるでスピリットガイド達が伝えてくるような前向きさと深い視点からの慈しみがあるのを感じました。

 

私達の人生で大きなテーマになるのは、人間関係(親、兄弟、子供、配偶者、周りの人達)、健康、お金、仕事・人生の目的であり、このなかには必ず何らかのカルマがあります。

 

先日父の一周忌法要でしたが、父との関係は私にとって間違いなく大きなカルマでした。父が亡くなるまでに完全にバランスを整えることは出来なかったかも知れないけれど、今の私の精神段階でやれるだけのことはやった、取り組んだという気持ちはあります。

それは父に対する内面の葛藤、精神的な部分も含めてです。ほんの10年前までは、私は父を許すことは出来ないし、自分の人生の一部分として受け入れることは出来ないと思っていました。

 

しかし私には父以外にもまだまだ人生で課題が残っています。そのことにもっと積極的にならなくては…とケイシーの本を読んで思ったのでした。

 

そして、私もリーディングセッションでは、クライアントが自身の課題に対して積極的、能動的になれるようサポートしていきたいとあらためて思いました。



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