祈る存在を自分に許可できること

私がスピリチュアルを人生に受け入れて一番良かったことは、祈ること、祈る存在を自分に許可できるようになったことです。

 

職業柄色々な方とお話をして、「特別スピリチュアルでも宗教的な家庭環境でもないが、物心ついた時から神様(や、守ってくれている見えない存在)にお祈りしたり話しかけたりしていた」という方が意外に多いことがわかったのですが、私は全くそういうタイプではありませんでした。

 

ですから私は不安な時、守ってほしい時、自分が正しいと認めて欲しい時、親や友人や好きになった男性など人間にそれを求めていました。でも相手は人間です。私の怒りや認めて欲しい気持ちをうんざりするほどぶつけられたら、相手は当然私を拒絶します。今ではそれは当たり前のことだとわかります。でも私はいつも勝手にがっかりし、怒り、孤独を感じ、そして自分をますます嫌いになっていました。

 

今の私はと言うと、やっぱり今でも人間に対して一方的にがっかりしたり怒りを感じたり孤独を感じることはあります。ですが以前と違うのは、人間に天使のような愛を求めてはいけないことを理解し、「本当の意味で私は孤独ではない」とハートで理解していることです。

それは、スピリチュアルに心を開き、目に見えない存在がいることや、彼らに祈ることを自分に許可し、不思議な経験をたくさんしたからです。そしてどんなにスピリチュアルな存在との繋がりが強まっても、「人を求める気持ち」が消えるわけではないこともわかりました。

 

目に見える世界と見えない世界、そのどちらとも良い関係を築いていくことが私にとって最高最善…。スピリチュアルを人生に受け入れるようになって一番良かったことです。だから私はこれからも天使をはじめ、目に見えないスピリット達の愛について語り続けるでしょう。



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