「美女と野獣」とカルマ

最近、去年買ったエドガー・ケイシーの過去世リーディングについてまとめられた本、『改訂新訳 転生の秘密』をあらためて読み返しています。過去世とそれによってつくられたカルマについてのケイシーのリーディングが書かれている本で、以前読んだ時は大急ぎでやや飛ばし気味で読み、読んでいない章もあったので、じっくり読み返したくなったのです。

 

ケイシー関連の本は膨大にあるうえに近所の本屋で売っているようなものでもないので、ネットでどれを買ったらいいのか悩みますが、これはとても良かったです。

 

この本を読むと残虐な殺戮行為だけでなく、嘲笑や厳しい非難、傲慢さなどでも結構深刻なカルマとなって転生することがわかります。ネットで誹謗中傷している人は読んでみるといいかも知れません。自分を変える時間はまだあるはず。

 

「蒔いた種が刈り取られる」のがカルマと転生の法則ですが、しかし私達はちゃんとそのカルマに対処できるだけの内的成長(強さや素直さなど)も備えて転生するのだそうです。だから、私達の人生で乗り越えられないものはないのです。

 

私はこれを読んで、童話「美女と野獣」を思い出しました。美しく傲慢な王子は、魔女に呪いをかけられ野獣になります。彼はお城のなかで絶望して暮らしているのですが、そこにベルが現れ純粋な愛を捧げることで呪いが解けます。彼は、もとの王子に戻ったのですが、試練のあとで痛みのわかる心優しい王子へと変わったのです。

 

「カルマのシナリオ」という視点でこの物語を見れば、王子が試練を機に内なる成長を目覚めさせ、呪いを乗り越える強さを備えていること、呪いを解く存在としてベルが現れることも、転生の時点で書かれていたのでしょう。

 

しかしこのシナリオは変更可能なもの。もし、この王子が魔女に呪いをかけられた我が身をただただ嘆き、怒り、反省することもなく自暴自棄になり破滅的になっていたら、ベルは登場することなく(あるいは登場しても彼女の愛を得ることはなく)、課題は持ち越しということになったでしょう。

 

なんでもありの世の中で、その反動か「正しさの暴力」のようなものも蔓延しているように思います。絶対に間違ってはいけない世の中は怖いと私は思うので、この本を読みながらいろいろなことを考えてみたいと思います。



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