失われていくもの・失われないものを抱きしめる

春は出会いと別れの季節と言いますが、年齢を重ねると、出会いよりも別れのほうが増え、身に堪えるという状況になってくるんだなぁ…と50歳を過ぎて感じています。

 

若い頃の喪失体験というと恋愛や友情が中心で、最も身近な死別体験は祖父母の死…くらいだったものが、年齢を重ねていけば親も天国に行きますし、先輩や同年代であっても、早い人は旅立たれる。

 

今の季節の喪失体験であれば、子どもが一人立ちして家を離れた親御さんは空の巣症候群になったりするのではないでしょうか。

 

老いていく親だけが残ったがらんとした家のなかで、過去のいろんな思い出がよみがえって、あんな楽しいことがあった、もっとこうしてあげれば良かった‥など考えて寂しくなってしまう。

 

未来ある子どもを祝福してあげよう、子どもにおんぶにだっこではいけない。さて、自分はこれからどうするか…。

 

失われていく時間、失われていく肉体。しかし思い出は失われない。自分が生きている限り自分の時間も肉体もまだここにある。

だけど悲しい。前に進みたいけれどこの悲しい気持ちをどうすれば良いのだろう。自分はこれからどうすればいいのだろう…。

 

人によっては心理カウンセリングやまわりの励ましによって立ち直るのかも知れませんが、私が英国のミディアムシップやスピリチュアリズムに惹かれるのは、死というものについて、そして生まれてきた意味や、なぜ生きるのかについてもきちんと考える・霊的な側面からきちんと向き合うからだと感じます。

 

死や死後の世界は決して怖くて恐ろしいものではなく、愛にあふれ、温かい気持ちにさせてくれるもの。死は存在するけれど、私達は死を越えてつながっている。つながりを感じながら、グラウンディングして生きていくことはできる。寂しくてもいい。でも寂しさであなたが溺れてしまうことを誰も願っていない。出来ることはたくさんある。

 

「あの人とは出会った瞬間から強い繋がりを感じた。なぜだろう」という思いに答えてくれるものは精神世界にあります。人生において会った瞬間から懐かしさ、親しみ、繋がりの強さを感じる出会いを体験したことのない人などいないと思います。

 

だから精神世界というものは本当は多くの人にとって知ると良い領域なのです。