ミディアムシップの流れ(Flow)と受けとり(Recieve)を妨げてしまうものは・・

やっとミディアム講座のお申込みを再開できました。今はカートがSOLDになっていますが月曜日には再び開けますのでもうしばらくお待ちくださいませ。

 

さて、先日クリス・ドリュー先生のWSに参加して、ミディアムシップの場において霊界との繋がりを維持し続けることや、自分でエビデンスを探しに行くのではなく、「受け取る」ことに徹する大切さなどについて教わりました。

 

どちらも奇跡のようにうまく行くこともあれば、難しい時もある。難しかったとしてもドンマイな感じでPracticeしていくことが大事なのだけど、挫折しないためには講師や仲間の温かいサポートが必要だと感じています。

 

なぜなら霊界からの流れを止め、受け取ることを忘れてミディアムがエビデンスを探しに行ってしまう最大の要因になりうるのは、シッター(クライアント)からつめたい波動と共に送られてくる「NO」だからです。

 

霊界の方がお見えになっていて、誰なのかミディアムは正しく受け取れている箇所があるかも知れない。それなのにシッターが違いのほうにばかりフォーカスして、「NO」「NO」「NO」と言ってしまうのは、霊界にも地上でのスピリチュアルの発展にもプラスにならないと思うのです。

 

セッションの場でクライアントにああしろこうしろとは言えません。ですが練習の場においては、「もしかしたらこの人かも‥」「きっと彼女のことだと思う」と互いが助け船を出せるような温かい場を私は作っていきたいと思います。

 

そんなの甘すぎると考える人もいるかも知れません。ですがどんなに正確なエビデンスがあってもなぜか感動がない、ただの情報にしか感じられない時もあります。それはハートに響いてこないから。

 

ハートに響くようなミディアムシップを行うには、やはりミディアムと霊界の故人がハートで繋がっていなければならないし、そのようなミディアムを育てるには、やはり「温かい場」が必要だと感じるのです。

 

エビデンスには主観の入らない客観的なものもありますが(名前など)、性格や体型などはシッターの主観によって「NO」になってしまうこともあります。

 

それは仕方ない面もあるけれど、練習の際は大きな心で、ミディアム役が受け取ったものをシッター役がすり合わせるような気持ちも持っていないと、やがて仲間の間でミディアムシップ=エビデンスをどれだけとれるかの戦い=確実な客観しか認めない・自分の感じる主観しか認めない、みたいな世界になりかねないと思います。